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 ぶらり歩き  
 4.境川を歩く (17)                              平成14年9月7日
 先週は強い日射にやられて途中から息があがり、へとへと状態で花応院に辿り着くという体たらくであったため、今日は天気予報で曇りの予報を確認し、小雨が降る中6時過ぎに家を出て六会日大駅に向かう。残暑は残るものの月も改まり9月となり、さすがに体も気持ちも元気はつらつとした状態で歩き出すことができ、余裕をもってウォークできる活力を実感してのぶらり歩きとなりそうである。

 六会日大駅から花応院に向かう途中にある湘南ゆうき村の入り口に伝承小栗塚石碑(写真47)を見つける。西俣野史跡保存会と社会福祉法人・藤沢育英会が建てた掲示板に、小栗伝説について次のような解説が掲載されている。

 中世になると、浄土信仰が全国的に広がり時宗は浄土の教えに小栗説話なども交えて人びとの心をひきつけた。小栗伝説は、説教浄瑠璃などにも登場する。一度は地獄に落ちた判官は、閻魔大王の力によって再びもとの地に、餓鬼となってよみがえる。冥界の入口は小栗塚、娑婆への出口は土震塚(すなふるいづか)、遊行上人の情けにもすがった判官は、はるか後方現世の、西方浄土熊野へと送られ、もとの美男子に生まれ変わる。美女照手姫車引の話もからめ、壮大なロマンとなる。史実・伝承あい混じり江戸初期より伝承する大王像・小栗絵巻など花王院に現存する。今も「閻魔祭」や「判官絵解き」の行事の時に目にすることができる。「湘南ゆうき村」建設に伴って調査し、塚のもとの位置には、現在「伝承小栗塚」の碑がたっている。 

 小栗判官は伝説上の人物で、中世以降、日本各地にいろいろな伝承が残っているという。特に説経節(せっきょうぶし。中世末から近世にかけて盛んに行われた語りもの芸能)で取り上げられたほか、浄瑠璃歌舞伎でも演目として好評を博したようである。前回訪ねた花王院は大王像、小栗絵巻が現存することで有名である。

 小栗塚を後にして花応院を経て境川に出る道を辿ろうと考えていたが、花応院の手前で昔ながらの小道が目に付いたため、地図を頼りに何気なく入りしばらく歩くと、個人の墓地の入り口に閻魔堂跡の木製の杭(写真48)を見つける。ここは、花応院の案内板にあった法王院十三堂跡で、木製閻魔大王坐像が安置されていたが、天保11年(1840年)の火災で焼失したという。先ほどの掲示板によると、大王像は花王院に現存しているとのことであるので、法王院十三堂は焼失したが、大王像すなわち閻魔大王坐像は焼失を免れたと想像される。

 
写真47(伝承小栗塚石碑)
 
写真48(閻魔堂跡)

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